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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求番号 |
配架場所 |
帯出区分 |
状態 |
貸出
|
1 |
県立長野図 | 0104072038 | N049/9/3 | 5階書庫北 | 禁帯出 | 在庫 |
× |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1005010038536 |
書誌種別 |
図書郷土 |
著者名 |
冢田 大峰/著
|
出版者 |
東壁堂
|
出版年月 |
1829 |
大きさ |
26cm |
分類記号 |
N049
|
書名 |
随意録 巻3 |
書名ヨミ |
ズイイロク |
内容紹介 |
巻3では、「京師を洛と称する者は、彼の方(中国)の洛陽に擬するのみ、洛は水の名、その都洛水の南に在り、故に洛陽という、これはこの方(日本)の京にあたらず、しかし、この称の由来するところ既に久しいので、今敢えてこのことについてはいわない」とする。また、仏教伝来のことにもふれる。「欽明帝のとき、百済が仏像を献じた。蘇我稲目、殿を作って之を安置した、このとき、大疫初めて流行した。物部尾輿・中臣鎌子詔を奉じて仏像を難波の堀江に捨てた。敏達帝のとき、新羅がまた仏像を献じてきた。蘇我馬子、殿を造り之を安じた。物部守屋詔を奉じてまた堀江に捨てた。このときも京に痘瘡を患い死亡する者が多かった。ここにおいて、馬子と守屋とが戦いを交え守屋は殺され、且つ崇峻帝も刺殺された。後世、人々守屋を悪人とするが、詔を奉じて仏像を捨てることと、仏を奉じて天子を殺すことと、そのいずれが大悪か、これ論を待たざることである」のように筋を通して、逆説を唱えることもあった。 |
内容細目注記 |
1冊 和装本 |
内容細目
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