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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求番号 |
配架場所 |
帯出区分 |
状態 |
貸出
|
1 |
県立長野図 | 0115854754 | 704/マト/2 | 開架 | 帯出可 | 在庫 |
○ |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1000001823915 |
書誌種別 |
図書一般 |
著者名 |
松本 俊夫/[著]
|
著者名ヨミ |
マツモト トシオ |
出版者 |
戦後映像芸術アーカイブ
|
出版年月 |
2024.12 |
ページ数 |
671p |
大きさ |
22cm |
ISBN |
4-9913194-1-9 |
分類記号 |
704
|
書名 |
松本俊夫著作集成 2 |
書名ヨミ |
マツモト トシオ チョサク シュウセイ |
内容紹介 |
映画監督・映像作家、松本俊夫の著作集。2は、「世界前衛映画祭について」「映像表現とは何か」など、1966〜71年の主要な文章123本を編年体で収録する。解題、年譜、作品名索引等も掲載。 |
各巻書名 |
一九六六-一九七一 |
各巻書名著者 |
戦後映像芸術アーカイブ/編 |
内容細目
-
1 偶然の問題
フォトイメージの可能性 その1
10-11
-
-
2 「見る」ことの意味
フォトイメージの可能性 その2
12-13
-
-
3 なぜ撮るか
フォトイメージの可能性 その3
14-15
-
-
4 物差を捨てる精神
16-17
-
-
5 黒木の映像について
18-21
-
-
6 前衛性の本質について
22-25
-
-
7 『とべない沈黙』論ノート
26-35
-
-
8 世界前衛映画祭について
その1
36-37
-
-
9 世界前衛映画祭について
その2
38-39
-
-
10 ランボオとマルクスの統一
ルイス・ブニュエルの根底にあるもの
40-45
-
-
11 自己救済の儀式
46-47
-
-
12 映像表現とは何か
1
48-53
-
-
13 映像表現とは何か
2
54-59
-
-
14 映像表現とは何か
3
60-65
-
-
15 正確でみごとな編集
野田真吉のこと
66
-
-
16 批評意識の貧困と現在
大島渚の前衛映画論について
67-76
-
-
17 アンチ・テアトルは頽廃か
77-79
-
-
18 漂う孤独の表情
第4回フランス映画祭をみて
80-82
-
-
19 橋の上に展開する人生の姿
アンドリッチ著『ドリナの橋』(松谷健二訳)
83-84
-
-
20 人間座に期待する
85-86
-
-
21 作品研究
魂のジュリエッタ
87-96
-
-
22 威勢のよい保守主義者
石堂淑朗の批判に答える
97-103
-
-
23 弁証法的思考の欠落
言語か映像かではない
104-110
-
-
24 映像表現のアンガージュマン
111-119
-
-
25 環境芸術の思想
120-125
-
-
26 批評性ということ
俳優座公演『肝っ玉おっ母とその子供たち』
126-133
-
-
27 可能性はどこにあるか
上 チェコ映画『夜のダイヤモンド』について
134-139
-
-
28 可能性はどこにあるか
中 六〇年代のアヴァンギャルドたち
140-146
-
-
29 エセ批評性に対立
状況への映像固有のアプローチを
147-150
-
-
30 小説と演劇
劇団青俳公演『地の群れ』
151-155
-
-
31 核心にあるもの
156-158
-
-
32 スコピオ・ライジングとアメリカの肉体
159-161
-
-
33 作品研究
気狂いピエロ
162-171
-
-
34 蒸発の根に何を見るか
『情事』『気狂いピエロ』にない日本的歪みと因果律
172-183
-
-
35 キリアンと猫
『支えがほしい』について
184-189
-
-
36 『母たち』を監督して
190
-
-
37 ハーレムという黒人街
191-192
-
-
38 映像表現の批評的変革を!
公募作品の審査を終えて
193-197
-
-
39 レネの思想と方法について
198-203
-
-
40 映画と演劇
204-207
-
-
41 創作過程とその創造的契機
208-212
-
-
42 演出、非演出
コンティニュイティ主義と即興主義
213-214
-
-
43 表現形式の実験
215-217
-
-
44 アラン・レネとそのグループ
218-221
-
-
45 ポーランド派とその後
222-226
-
-
46 アンダーグラウンド・シネマ
227-232
-
-
47 実験の思想的意味を自覚せよ
第一回草月実験映画祭・報告
233-234
-
-
48 地獄絵的状況への暗い情念
東欧の新しい波・アメリカのアンダーグラウンドシネマの可能性
235-237
-
-
49 書評
山崎正和著『芸術現代論』
240-241
-
-
50 実感的映画状況論
242-246
-
-
51 退会届
247-249
-
-
52 宮井陸郎のこと
250-251
-
-
53 母たち
252-253
-
-
54 日本における政治映画の可能性
映画作家にとって政治とは何なのか
254-258
-
-
55 新しい政治参加の方向
『ベトナムから遠く離れて』を中心に
259-264
-
-
56 投影芸術の課題
アーチスト自身の思想と自覚
265-266
-
-
57 幻覚とその意味
白昼の幻想
267-269
-
-
58 現実が生む幻想と幻想が生む現実
アラン・ジェシュア『殺人ゲーム』をめぐって
270-275
-
-
59 俺たちはみんな気狂いピエロだ
<*ex・pose '68なにかいってくれいまさがす>第2日報告
276-285
-
-
60 『男性・女性』以後
286-291
-
-
61 記憶にのこる八作品
オーケストラル・スペース'68をきいて
292
-
-
62 あなたは若いころどんな思想家、批評家(主として日本人映画作家をのぞく)に影響されましたか。また誰を憎みましたか。
293
-
-
63 言語的つんのめりと舞台表現
294-299
-
-
64 ミックスド・メディアの実験
シンポジウム<変身、あるいは現代芸術の華麗な冒険>の可能性
300-301
-
-
65 作品研究
夜のダイヤモンド
302-310
-
-
66 奥村昭夫のサドマゾイックなシネ・マニフェスト
311-312
-
-
67 鈴木清順問題共闘会議はこれでいいのか
313
-
-
68 大島渚よ、君はまちがっている
314-320
-
-
69 混沌が意味するもの
321-330
-
-
70 新しい映画運動の砦
質、量ともに国際的規模に高まったフィルム・アート・フェスティバル
331-332
-
-
71 変貌する映画
フィルム・アート・フェスティバル東京1968
333-336
-
-
72 血は混合するほどよし
ゴダールの『中国女』と『ウィーク・エンド』をみて
337-344
-
-
73 映画表現にとっての「変革」の位相はどこか
小川紳介の政治煽動道具論への疑問
345-347
-
-
74 エキスパンデッド・シネマと現代
348-356
-
-
75 クロス・トーク/インターメディア
357-359
-
-
76 さしあたってこれだけは
360-361
-
-
77 反政治主義的政治劇を
362-363
-
-
78 資本の論理からも政治の論理からも自立させた映画を!
364-365
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79 新時代の透視を
ゆたかな“アングラ精神”
366-367
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80 映画運動論
鈴木清順問題共闘会議研究会報告
368-378
-
-
81 未踏の域に挑戦
映像表現の変革に賭ける
379-380
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82 ジャン=リュック・ゴダールについて
381-386
-
-
83 私と短篇映画
387-388
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-
84 ヴァンダービークとその周辺
エクスパンディッド・シネマの展望
389-403
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-
85 「傷口」を「刃」に転換
404-406
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-
86 傷口と刃
407-409
-
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87 映画愛好者のためのお祭り
410-411
-
-
88 60万の陰花植物
412-415
-
-
89 ジャパン・コープ総会への提言
416-420
-
-
90 “場”はあくまでも媒体
芸術運動の内実は不可視な位相のもの
421-422
-
-
91 極左的空語の害毒
424-436
-
-
92 不断の前思考と即興演出
蓮實重彦・柴田駿監訳『ゴダール全集 4』
437-438
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-
93 勅使河原宏について
439-440
-
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94 狂気とエロス的体験の場
せんい館
441-453
-
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95 私の一枚
サルヴァドール・ダリ《ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造(内乱の予感)》
454-456
-
-
96 別役実の“新演劇宣言”
演劇企画66・楽団六文銭公演『スパイものがたり』を観て
457-459
-
-
97 魔性の回復
P・パオロ・パゾリーニ監督『王女メディア』
460-463
-
-
98 前衛映画の思想
既成秩序に抜本的に変革を加え反体制、反権力のパワーと対応する
464-467
-
-
99 ビートルズ
映画『レット・イット・ビー』
468-469
-
-
100 新宿・映画・青春
470-471
-
-
101 ヨーロッパ映画見聞記
472-480
-
-
102 ヨーロッパの地下映画作家たち
481-491
-
-
103 『修羅』と南北と現代とわたし
492-493
-
-
104 GOOD-BYE
メルカトールの地図
494-497
-
-
105 『修羅』のためのノート(抜粋)
498-502
-
-
106 『記録映画』覚え書
戦後の映画雑誌 4
503-513
-
-
107 『記録映画』覚え書
戦後の映画雑誌 5
514-522
-
-
108 『記録映画』覚え書
戦後の映画雑誌 6
523-534
-
-
109 『映像芸術』覚え書
戦後の映画雑誌 7
535-546
-
-
110 『映像芸術』覚え書
戦後の映画雑誌 8
547-560
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-
111 不可視の映画運動
561-568
-
-
112 ドイツ映画祭によせて
569-572
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-
113 ドイツ映画祭をみて
573-574
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114 血と闇に彩られた洞穴
猜疑心と自棄の情念
575-578
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115 斎藤竜鳳の批評と私
579-583
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116 自己否定性の軌跡
石崎浩一郎著『光・運動・空間-境界領域の美術』
584-585
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117 遙かなり天国
586-588
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118 地獄妄想の鏡
私のなかの南北
589-591
-
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119 孫悟空と釈迦の掌
592-599
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120 幻覚志向のかなたにあるもの
600-605
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121 思想的建前の許容範囲
岩崎昶著『現代映画芸術』
606-608
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122 大島渚の眼は節穴か
609-612
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123 映画『メタスタシス』制作にあたって
613
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-
124 解題
615-652
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125 <フィルム・アート・フェスティバル東京1969>開催を前に
参考収録 1
653-657
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126 <フィルム・アート・フェスティバル東京1969>の開催中止について
参考収録 2
658-659
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