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書誌情報サマリ

書名

善光寺如来東漸録  巻4

著者名 粟津 義圭/述
出版者 菊屋喜兵衛
出版年月 1773


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No. 所蔵館 資料番号 請求番号 配架場所 帯出区分 状態 貸出
1 県立長野図0104072145N181/13/4書庫禁帯出在庫  ×

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書誌詳細

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タイトルコード 1005010038254
書誌種別 図書郷土
著者名 粟津 義圭/述
出版者 菊屋喜兵衛
出版年月 1773
大きさ 23cm
分類記号 N181
書名 善光寺如来東漸録  巻4
書名ヨミ ゼンコウジ ニヨライ トウゼンロク
内容紹介 4 月蓋長者は大伽藍を建立し、一光三尊を安置し、法事に努めた。毘舎離国の人々は、菩提心を発さぬ者はなく、月蓋長者は生涯如来に仕えたが亡くなり、百済の聖明王として生まれかわった。如来もあとを追って百済国に参り、やがて、衆生済度のため東方日本に速やかに渡すようにとのたまわった。時の帝は、斯様な貴い法を聞いたことが無い。受け入れにつき、百官を召し、意見を質したが、断りの意見が多く、蘇我稲目大臣は、「諸国が仏教を貴び、仏像に仕えるのに、わが国のみが是を拒む理由もない」と主張した。物部尾輿・中臣鎌足らは、わが国は、昔より百八十神(やおよろず)の神々を祭る習いであると反対した。これを聞き、帝は聖明王が献じたものを無下に戻すこともできず、誰なりとも信仰する者があれば、自分の家に祭れと勅命した。稲目は受け入れを申し出て、小懇田(おわりだ)の向原に寺を構えた。のち、聖徳太子は蘇我馬子と共に豊浦寺を建立し、如来を安置した。やがて、蘇我馬子は病気となったが、先代稲目がいわれぬ仏像を祭った咎めであるとの評判であった。太子は、蘇我大臣仏法を興業致すは天下の幸、神々のお喜びである。帝も仏を祭るべし、と仰せ出された。しかし、疫病が流行り死人が多数出たのは仏像を祭った咎めだと物部弓削・中臣勝海らが言上した。これに対し、聖徳太子はこれは因果を知らぬ愚人どもの申すことだとしたが、守屋・勝海らは聞き入れず、豊浦寺へ押し寄せ、堂塔伽藍を焼き滅ぼしたが、一光三尊の如来ばかりは、いささかも損ねることはできなかった。これを見て、守屋は腹をたて難波の剣池に如来を投げ込んだ。
内容細目注記 1冊 和装本



内容細目

1 緩和表現としての感情動詞「因る」に関する言語文化論的考察
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