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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求番号 |
配架場所 |
帯出区分 |
状態 |
貸出
|
1 |
県立長野図 | 0104072012 | N049/9/1 | 5階書庫北 | 禁帯出 | 在庫 |
× |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1005010038537 |
書誌種別 |
図書郷土 |
著者名 |
冢田 大峰/著
|
出版者 |
東壁堂
|
出版年月 |
1829 |
大きさ |
26cm |
分類記号 |
N049
|
書名 |
随意録 巻1 |
書名ヨミ |
ズイイロク |
内容紹介 |
塚田 虎(1745~1832)は、旭嶺の4男で水内郡長野村桜小路(長野市桜枝町)に生まれた。通称は多門、名は虎、号は大峰。16歳の宝暦10年(1760)、江戸へ遊学した。国学を加茂真淵に学んだが、儒学には常師がいなかった。37歳の天明元年(1781)、尾張藩儒細井平州の推薦で、藩主徳川宗睦の侍講となり、67歳の文化8年(1811)には、名古屋へ赴任し、やがて藩校明倫堂の督学(校長)となった。松平定信の寛政異学の禁(1790)に反対したことは有名である。著書は50余種200余冊で、その中では『塚注六記』・『滑川談』・『塚註家語』などが著名である(『塚田家の系譜』参照)。この『随意録』は全8巻からなり、大峯85歳の文政12年(1829)の出版である。幾多の著作を著し、人生の労苦を積み重ねて、見聞を広げてきた最晩年の随筆集でもある。
巻一の序文に、「亡兄敬伯、かって書の出版計画があり、序までつけたが、不幸不治の病にかかって短命におわり、その志を果たしえなかった。その志を継いで」の文言がある。本文は、最初に「凡そ耳目の見聞する所は、思慮の及ぶ所であり、耳目の見聞しないところは、ないことを強いて言い張ることにつながる」と主張する。また、「武田信玄、父を他方に追放し、嫡男を殺めて、庶子を立てる。その無道ぶりは顕著である。しかし、世人は彼を良将だとする。良将の行い、あにこの如くならんや」として苦言を呈する。「寛政10年夏(1798)、鯨が大量に品川の海にやってきて、都下の子女が殺到している。先生も見たらどうかの勧めに、私も見に行きましょう」というような心温まる記事もある。このように、古今東西の事物にふれながらの随筆であるが、異国の事象は、当時の日本を反映して中国及び朝鮮に限定される。 |
内容細目注記 |
1冊 和装本 |
内容細目
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