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書誌情報サマリ

書名

甲越春秋 巻2

著者名 松原 櫟園/著
出版者 玉山堂
出版年月 1867


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No. 所蔵館 資料番号 請求番号 配架場所 帯出区分 状態 貸出
1 県立長野図0104131081N209.4/2/2書庫禁帯出在庫  ×

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書誌詳細

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タイトルコード 1005010037524
書誌種別 図書郷土
著者名 松原 櫟園/著
出版者 玉山堂
出版年月 1867
ページ数 1冊
大きさ 28cm
分類記号 N209.4
書名 甲越春秋 巻2
書名ヨミ コウエツ シュンジュウ
内容紹介 巻2では、天正元年(1573)謙信、信玄の死を知る。翌年、謙信は加越に兵を進め、信長軍と対峙した。しかし、6年3月には、征西途中49歳で死去する。跡目をめぐって謙信の養子景勝と景虎との間で争われたが、景虎の自殺に及び、景勝の勝利となった。 織田信長配下の諸将と景勝側との戦は、その後も行われていたが、信長が明智光秀に刺殺されるに及んで、北陸道の信長側諸将は皆引き上げるに至った。一方、北条氏は上毛地方を攻略し、さらに川中島に5万の大軍を出動させた。天正11年(1583)には羽柴秀吉は明智光秀を討ち、柴田勝家を破り、大坂に城を築き、武威を周囲に示した。 14年には、景勝が西上し、大阪城に於いて正四位上、参議に任ぜられ、家臣直江兼続らも叙任された。国内においては、佐渡の諸氏の謀反を平定し、18年には、景勝は秀吉の命を受けて北条氏の討伐に向かい、その後も陸奥の南部氏などを平定した。文禄元年(1592)には、秀吉を奉じて朝鮮を攻め、慶長2年(1597)には5大老の一人となり、翌年会津120万石に転封を命ぜられた。 秀吉亡き後、家康の専断著しく、慶長5年には関ヶ原の決戦となった。当時、景勝・兼続は会津におり、家康はこれに対峙しつつ、決戦では、西軍の敗北に終わり、景勝は、その領地を三分の二減じられ、徳川の配下になり、元和9年(1623)3月、景勝は病死した。 子定勝、孫綱勝が相続したが、綱勝は夭折。吉良義秀の子綱憲が後を継いだが、さらに寛文4年(1664)15万石に削減された。景勝人となり、剛毅勇断、沈思黙考の男であった。



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